2005年 05月 30日
メール・ベルクマンスの伝記 |
今日は久々に抹香な話題をお届けしますね(笑)。
さて、今日は帰宅すると二件荷物が届いておりました。ひとつは京都の柳桜園から。宇治の新茶でございます。寺町二条をちょっと二条どおりに左に入ったところにある京都の老舗茶舗です。ごく至近距離に全国区で有名なIP堂(バレバレ)などもあり、そちらも悪くないですが、IP堂のお茶はちょっと高価に感じられます。柳桜園のほうは新茶でも2000円と3000円の二種類だけで、ま、お茶としてはそれでも高いのですが、新しい煎茶の、あのトロッとした甘みを味わいたい、とついつい注文してしまったのでした。先日、毎年案内をもらう不二聖心の農園のお茶をゴソッと注文したばかりでしたが。柳桜園は店頭で買っても電話注文をしても店員さんの応対が丁寧で親切なのもポイント高いです。
さて、もう一点はサンパウロから出ている『栄光への旅立ち 函館トラピスチヌの修道女メール・ベルクマンスの生涯』(トマス・マートン著・木鎌安雄訳)です。まだ届いたばかりなので熟読モードには入っていませんが、この本の邦訳、結構長いこと待っていました。なんたってかのトマス・マートンの著書ですし、そのトマス・マートン(さっきキーボードを叩きながら、ついトマト・スートンと打ってしまい一人でうけていました)がほかならぬ日本についての本を書いているというのはなかなか貴重です。
以前那須トラピスチンに滞在した折、受付の姉妹にお願いしてトマス・マートンのこの本が抄訳でもいいですからありませんか、と聞いてみたことがありましたが、「残念ながら、まだないんですよ。でも今木鎌先生が訳してくださるという話もありますから…」など聞いていたので、出た、ときいてすかさず注文しました。
メール・マリー・ジャン・ベルクマンスという修道女の伝記です。函館の大観光地でもある天使の聖母修道院の揺籃期にフランスのラヴァルのトラピスチン修道院(手作りチーズで有名な修道院で、ブルターニュとロワール地方の境界にあるラヴァルという街にあります。このあたりからはカナダのケベックに移住した人をたくさん出しているのですが、モントリオールに隣接する街の名もやはり同名のラヴァルです)からやってきた人で、伝記になるくらいですから、修道会内では聖人に準ずる存在として尊敬されている人です。極東の島国にやってきて、10人に満たない仲間とともに少しずつ修道院を大きくしていく過程について、彼女の早すぎる、しかし聖なる死に至るまで書かれています。一人の修道女の伝記ということもあるのですが、日本にどのようにキリスト教が受容されていったか、ということとともに、マートンが日本をどうとらえていたか、ということを知る上でも大変興味深い資料です。マートンがこの伝記を書いた時点で函館のトラピスチヌは世界最大のトラピスチンだったというのも意外でした(現在でも世界で三番目に大きいトラピスチン修道院だそう)。
マートンは現教皇様はあまりお好きでないらしく(多分晩年に東洋の霊性に接近していったことがあるのだと思うのですが)、読むな~と教理省長官時代に言われたかどうかまでは知りませんが、この本は是非、ご一読を。
さて、今日は帰宅すると二件荷物が届いておりました。ひとつは京都の柳桜園から。宇治の新茶でございます。寺町二条をちょっと二条どおりに左に入ったところにある京都の老舗茶舗です。ごく至近距離に全国区で有名なIP堂(バレバレ)などもあり、そちらも悪くないですが、IP堂のお茶はちょっと高価に感じられます。柳桜園のほうは新茶でも2000円と3000円の二種類だけで、ま、お茶としてはそれでも高いのですが、新しい煎茶の、あのトロッとした甘みを味わいたい、とついつい注文してしまったのでした。先日、毎年案内をもらう不二聖心の農園のお茶をゴソッと注文したばかりでしたが。柳桜園は店頭で買っても電話注文をしても店員さんの応対が丁寧で親切なのもポイント高いです。
さて、もう一点はサンパウロから出ている『栄光への旅立ち 函館トラピスチヌの修道女メール・ベルクマンスの生涯』(トマス・マートン著・木鎌安雄訳)です。まだ届いたばかりなので熟読モードには入っていませんが、この本の邦訳、結構長いこと待っていました。なんたってかのトマス・マートンの著書ですし、そのトマス・マートン(さっきキーボードを叩きながら、ついトマト・スートンと打ってしまい一人でうけていました)がほかならぬ日本についての本を書いているというのはなかなか貴重です。
以前那須トラピスチンに滞在した折、受付の姉妹にお願いしてトマス・マートンのこの本が抄訳でもいいですからありませんか、と聞いてみたことがありましたが、「残念ながら、まだないんですよ。でも今木鎌先生が訳してくださるという話もありますから…」など聞いていたので、出た、ときいてすかさず注文しました。
メール・マリー・ジャン・ベルクマンスという修道女の伝記です。函館の大観光地でもある天使の聖母修道院の揺籃期にフランスのラヴァルのトラピスチン修道院(手作りチーズで有名な修道院で、ブルターニュとロワール地方の境界にあるラヴァルという街にあります。このあたりからはカナダのケベックに移住した人をたくさん出しているのですが、モントリオールに隣接する街の名もやはり同名のラヴァルです)からやってきた人で、伝記になるくらいですから、修道会内では聖人に準ずる存在として尊敬されている人です。極東の島国にやってきて、10人に満たない仲間とともに少しずつ修道院を大きくしていく過程について、彼女の早すぎる、しかし聖なる死に至るまで書かれています。一人の修道女の伝記ということもあるのですが、日本にどのようにキリスト教が受容されていったか、ということとともに、マートンが日本をどうとらえていたか、ということを知る上でも大変興味深い資料です。マートンがこの伝記を書いた時点で函館のトラピスチヌは世界最大のトラピスチンだったというのも意外でした(現在でも世界で三番目に大きいトラピスチン修道院だそう)。
マートンは現教皇様はあまりお好きでないらしく(多分晩年に東洋の霊性に接近していったことがあるのだと思うのですが)、読むな~と教理省長官時代に言われたかどうかまでは知りませんが、この本は是非、ご一読を。
by brunodujapon
| 2005-05-30 20:35
| 抹香読書