2005年 05月 03日
人生のレッスン |
来る日も来る日も福知山線の脱線事故のニュース。そしてテレビをたれながし
につけていれば、半ば強制的に遺族の悲しみを見ざるを得ない毎日です。第
三者にしかなれないことがわかっているだけに、こうした報道を見ることに一抹
のうしろぐらさが伴っているのに、きっと多くの人が気づいているでしょう。
そんなことを思っていたら、ちょうど下のほうでちょこっと書いた、ボードレー
ルの詩を送ってきたフランス人M君から、「昨日、父が肺がんで亡くなりまし
た」という知らせがきました。大学で哲学を専攻した人らしい内容でした。私
信ではあるのですが、すこし書いてみます。観念、語弊のない言い方で言
うと、理想で実際の悲しさを征服しようとする理想主義的な姿勢は(ほめて
いるのです、もちろん)、なかなか日本人にはないものだな、と思います。
この悲しい出来事は何か真実らしきものを僕たちに見せてくれる力を
持っています。これは人生のレッスン、きみもたとえば去年車をぶつけ
たときとか伯父さんが亡くなったときにきっと体験して知っているはずの
ことです。なんらかのやり方で、この悲しみがやってきたときに、それを
喜ばなくてはなりません。なぜならこれは自分自身の真価を示すチャン
ス、真実に近づく機会だからです。
実際福知山線の犠牲となった人々の遺族の姿はそれぞれにとりどりです。
怒りと悲しみ、とひとくちに言ってもなんととりどりの色合いがあることだろう、
と思わされます。どんな謝罪も慰めも届かない実感の深淵、究極的には誰も
分かち合うことを許されないものなのですが、それをテレビの前で分かち
合ってくれる人々の姿にM君が書いてくれた言葉が重なります。
息子を亡くして悲しむ一人のお母さんが、いろんな人が震災の時と同じよ
うに助け合っている姿をみてうれしかった。息子を亡くして途方もなく悲しい、
こんな状態の私だけれどそれでもうれしかった。うれしいと思えたことに希
望を感じる、というコメントが衝撃的なくらい印象にのこりました。
M君にははたと思い出して、エディット・シュタインの言葉を贈りました。
それは彼女の師であったフッサールが亡くなったときに彼女が学友に送った
手紙の一節です。
「ある人が死ぬとき、その人だけのために死ぬのではないということを
私は確信しているのです」
につけていれば、半ば強制的に遺族の悲しみを見ざるを得ない毎日です。第
三者にしかなれないことがわかっているだけに、こうした報道を見ることに一抹
のうしろぐらさが伴っているのに、きっと多くの人が気づいているでしょう。
そんなことを思っていたら、ちょうど下のほうでちょこっと書いた、ボードレー
ルの詩を送ってきたフランス人M君から、「昨日、父が肺がんで亡くなりまし
た」という知らせがきました。大学で哲学を専攻した人らしい内容でした。私
信ではあるのですが、すこし書いてみます。観念、語弊のない言い方で言
うと、理想で実際の悲しさを征服しようとする理想主義的な姿勢は(ほめて
いるのです、もちろん)、なかなか日本人にはないものだな、と思います。
この悲しい出来事は何か真実らしきものを僕たちに見せてくれる力を
持っています。これは人生のレッスン、きみもたとえば去年車をぶつけ
たときとか伯父さんが亡くなったときにきっと体験して知っているはずの
ことです。なんらかのやり方で、この悲しみがやってきたときに、それを
喜ばなくてはなりません。なぜならこれは自分自身の真価を示すチャン
ス、真実に近づく機会だからです。
実際福知山線の犠牲となった人々の遺族の姿はそれぞれにとりどりです。
怒りと悲しみ、とひとくちに言ってもなんととりどりの色合いがあることだろう、
と思わされます。どんな謝罪も慰めも届かない実感の深淵、究極的には誰も
分かち合うことを許されないものなのですが、それをテレビの前で分かち
合ってくれる人々の姿にM君が書いてくれた言葉が重なります。
息子を亡くして悲しむ一人のお母さんが、いろんな人が震災の時と同じよ
うに助け合っている姿をみてうれしかった。息子を亡くして途方もなく悲しい、
こんな状態の私だけれどそれでもうれしかった。うれしいと思えたことに希
望を感じる、というコメントが衝撃的なくらい印象にのこりました。
M君にははたと思い出して、エディット・シュタインの言葉を贈りました。
それは彼女の師であったフッサールが亡くなったときに彼女が学友に送った
手紙の一節です。
「ある人が死ぬとき、その人だけのために死ぬのではないということを
私は確信しているのです」
by brunodujapon
| 2005-05-03 01:33
| つれづれ