ル・ブランの小さな修道院のこと Sur la petite communauté du Blanc |
フォンゴンボウという、フランス中部の、どの路線で行ってもSNCFの駅から遙か彼方にある、グレゴリオ聖歌で有名なソレム修族に属する修道院で年越しをしたことがある。こういうところの常として、修道院の禁域内のレフェクトワール(食堂)に招かれるのは男性のみなのだけれど、そこで修道士の朗読を聴きながら食べ、早朝から晩まで時課に出席しながら数日間を過ごした。滞在中、一度霊的指導をお願いした司祭(前修道院長で、ペール・アベというタイトルをお持ちの立派な方だった)に、その指導のついでに訪ねてみた。「この近くにダウン症のシスター方の観想修道院があると思うのですが」。
なかなか徒歩で行くのは難しいですよ、とのことだったので、やはり行くのは難しそうなのであきらめるか、と思っていたところ、たまたま同宿だったミカエルという名前の初老の男性と合間合間に話をするようになったのを幸い、こんなところがあって、フォンゴンボウのベネディクト会士がこのダウン症の姉妹たちをサポートしているのだと話をすると、では行ってみよう、ということになった。
こういうお宿では非常に敬虔な伝統主義者の方をよく見かけるけれど、ミカエルはそういうタイプではなく、フランス人の団塊の世代かつインテリに多い、宗教に対して無批判にのめり込むようなタイプではないところが好ましかった。彼の車の助手席に乗せてもらっていざ出発するとそれほど遠くはない、ルブランという街の河岸段丘の上にある宗教施設、というよりはふつうの住宅のような修道院に到着した。
観想修道院ではあるが、格子ごしのパロワールではなく、そこらへんの家庭にもありそうな、ごく普通の応接室で話をしてくれたのは、ダウン症のシスターではなく、障がいをお持ちでない「健常者」の姉妹2人だった。ひとりは創立当時からずっとダウン症の姉妹をサポートしてきた年配のシスター、もう一人はまだまだ若い、希望と単純さが人の形をとったような人だった。その二人の存在だけで、この修道院の行く末が祝福されているように思えた。一時間ほどの話の中で、ここではダウン症のシスターたちと、彼女たちの生活を支える健常者のシスターがいっしょに暮らしているのだということ、ダウン症のシスターたちは美しいものが好きだということ。姉妹のひとりの兄弟に日本に宣教師として兄弟の一人が滞在しているという話なども伺った。
あとで見せてもらった聖堂は祭壇のむこうにそのまま冬枯れの森が望める自然に溶け合うような聖堂だった。そこにはシスターたちが飾り付けた白木のクレッシュがすがすがしく据えられていた。入り口には「子羊の行くところ、どこへでもついて行く小さな姉妹たち」という修道院の名前が刻まれたタブレットがはめられていた。
最後に、日本にもこういう修道院がいつの日かできることを祈ります、と言った。そうするとシスターは「まず、障がいを持っていない、ダウン症のシスターといっしょに生活をしたいと願っている女性をここに送ってください」と言われた。それが第一歩です、ということだった。誰もがそういう連想をするだろうけれど、ベタニアのマリアとマリアの話を思い出した。ダウン症の姉妹たちはしっかりとマルタ的な姉妹に守られて、マリアのように祈りの中にいるのだろうと思った。とうとう最後まで姿を見ることはなかった。
ミカエルは、こういう修道院が自分が住んでいるこの地域にあることを知らなかったようだったけれども、深く感動していることが伝わってきた。透明なたましいを持ったひとたち、と言ったら帰りの車の中でやはりそれに同意してくれてうれしかった。
シスターたちには日本に帰ったら、この修道院のことをみなさんに伝えます、と言ったのだったけれど、ようやくそのことが実現できると思うとそれもまた、今になってうれしい。もう5年も前のできごとだけれども。