2006年 03月 28日
春爛漫 |
ウィスクという小さな村は、大きな修道院が二つもあって、村の中に修道院があるというよりも修道院の引力によって小さな家が吸い寄せられたような、そんな成り立ち。村の中心の辻のところに小学校兼役場の建物があって、村のさらに外郭にある田畑を耕す農家が軒を並べている。かすかに牛糞のにおいの染み込んだ家。案の定、モォ~ッと野太い牛の鳴き声がする。
でも人影が不思議にない。坂道を登ったところで、ようやく小さな家の庭で遊ぶ三人の子供たちを見つける。目があうと、ものめずらしそうにこちらを見ている。日本人なんて、そんなにめずらしくないでしょ、じろじろ見るんじゃない、と悪態をつきたくなったけれど、よく見るとそれは子供らしい悪意のないむき出しの好奇心。あちらから「ボンジュー」と声をかけてくれた。軒に繋がれた犬にはほえられたけれど。
春爛漫。日本の淡いさくら色の花びらとは違う濃いピンク色の八重桜が枝もたわわに咲いてはいるけれど、ぽつん、ぽつんとたまに見かけるくらい。ヴィアンネ神父に「どうして日本人はことさらに桜の花を愛するのかな」と聞かれたけれど、難しい質問だな。でも本当に日本の桜、弘前城の桜、千鳥が淵の桜、吉野山の桜、どこでもいいから、あの桜をここに持って来られたら、答えなど要らないのに。
泊まっていた修道院は男子修道院で、そこから歩いて10分くらいのところにあるノートルダム修道院は同じ聖ベネディクト会の女子修道院。あきらかに女子の方が建物は本格的で立派。もともと女子の会のほうが先に出来ていて、修道女を指導するために神父たちもやってきて自分たちの修道院を創ったということらしい。男子の会はもともとお城か邸宅だったのを修道院に作り直したという感じがする。
第一次世界大戦では奇跡的に建物もシスターたちも守られたのですよ、とおばあちゃんシスターが立ち話のついでに話をしてくれた。ベルギー国境も程近いフランドルの地。まさに激戦地だったようだ。
ここでもまた日本の話をするはめに。日本の神様?どんな?思いがけず日本の神話を話す羽目に。太陽の女神、太陽のエスプリ。白い玉砂利の敷き詰められた、瑞垣によって囲まれた神域を思い出しながら。桜の花のことを神父さんに聞かれたときも、夜の闇に浮かび上がる雪洞とか、満開の桜並木の下照る道とか、そんなことを思い出しながら話したけれども、異国で思い出す馴染みの風景は空恐ろしいほど美しかった。
by brunodujapon
| 2006-03-28 21:34
| 抹香紀行