2005年 06月 04日
マゴニア Magonia |
『マゴニア』という美しい映画をみてきました。オランダとグルジアの合作映画です。ロケが行われたというグルジアの乾燥地帯の風景、北海に面したオランダのちいさな島、ノルマンディの港町、どれも美しいもので旅心を誘われました。実際に知っているのはノルマンディだけですが、映画の中に出てくる船乗りたちが航海の安全を祈って捧げた船の模型で一杯になった教会、自分も(同じ教会ではありませんが)観た風景と地続きにある風景で、なんとはなしに懐かしかったです。
日曜日ごとに船乗りだった父親のもとを訪れ、父と語らい一緒に時間をすごす少年。オランダのちいさな島でのできごとです。そこで父は息子に「マゴニア」の話をするのです。
マゴニアとはヨーロッパに古くからある伝承で、地上と天のあいだに浮かんでいるという想像上の国のことです。不運が地上にやってくるとき、いったんマゴニアに留まるとも言われ、マゴニアは帆船のかたちをしているともいいます。父が息子にしたこんな話が印象に残りました。
「マゴニアの人々が、男三人、女一人、地上に降り立った。ところが、地上の空気があまりにも重過ぎて、マゴニアの人々は地上の空気に溺れそうになってしまったのだ。リヨンの司教は彼らが地上では生きてゆけない、と判断して彼らをマゴニアに帰した」。
この映画において「マゴニア」とは希望の寓意です。父は息子に「マゴニア」の話として、三つの話をします。映画の中ではこの三つの話が入れ子形式になっていて、それはそれぞれに独立したストーリーになっています。どれもこれもアレゴリーとメタファーで膨れ上がったストーリーなので結構頭を使う映画だなあ、大変だ、と思いながら見ていたのですが(笑)。
第一の話は、ミナレットの上からコーラン(これがアザーンでしょうか)を歌う老人とその弟子の青年の物語。毎日毎日コーランを歌うことを生涯の仕事、喜びとしてきた老人の美しい声もやがて衰え、やがて人々はモスクにもやってこなくなってしまいます。その老師を青年は支えながら、老師の世話をする美しい女性との間にも地道に愛を育てています。青年は老人の歌をなんとかしたい、という思いで拡声器をミナレットにとりつけたりもするのですが、むしろ逆効果。ある日青年は業を煮やし、老人のかわりに自分で歌い始めます。そのことはやがて青年にある断念をもたらすことになります。
第二の話。小さな帆船のかたちをした小屋に老人と息子である青年が住んでいます。昔から何一つかわることのない単調で素朴な生活です。そこに車の故障でやってきたのは文明社会からやってきた外交官の夫婦(なんとなくベルトルッチの『シェルタリング・スカイ』を思わせる設定でした)。旅にあこがれ外交官と結婚した奔放な妻ゾエは夫との単調な生活に窒息しそうになっています。一方老人の息子も年老いた父親との生活にやるせなさを募らせています。
老人をみてゾエは夫に言います。「見て、死の象徴みたい」。ギリシャ語でゾエとは「生命」という意味ですから、これは死と生命の物語でもあります。老人はゾエに言います。「希望は最後には捨てなくてはならんものだ」。老人の息子はゾエたちがもたらす文明世界の片鱗にあこがれ、夫婦が去る日、叫びながらその車を追ってゆきます。あとには老人ひとりが取り残されます。
第三の話は七年間もやってこない最愛の、男の中の男「ビル・ラムジー」を待ち続けるちいさなバーの女ヨセの物語。そのヨセに心惹かれている誠実な設計士アレント。アレントを拒むことはヨセにとってラムジーへの憧れを語ること、憧れを明日につなぐことを意味していました。ある日突然、そのラムジーが帰ってきます。アレントは絶望して去ってゆきます……。アレントを追うヨセ。また「男の中の男」を待つ生活が始まります。
ここらあたりになると語り手である父と息子の物語と三つの物語が盛んに交錯するようになってきます。あれはこういう意味でこうなんだな、と忙しく頭を動かしていた自分に映画のストーリーがようやく追いついたと思ったら、あれよあれよという間に一緒に抱きかかえられて、一気にラストまで連れてゆかれた感じです。登場人物にリアリティがあまりないよなあ、などと厳しく頭の中で採点していたのですが、リアリティを描きたいのではないからそれは当然だ、とここになってようやく気づかされたのです。ミナレットで老師の歌を奪った青年も、砂漠にひとり残される老人も、夢見ても夢が遠ざかってしまう現実に疲れたゾエも、「男の中の男」を待つことだけに日々の絶望をしのいでゆく希望を見出だしているヨセも、どこか自分に似ています。リアリティを描きたいのではなく、もっとユニバーサルな物語、人間の普遍性を描きたい映画なのです。現実の重い空気に窒息しそうになり、どこにもない国「マゴニア」=希望を求めているのが我々人間なのだ、というテーマがはっきりと伝わってきます。個々のエピソードに登場人物の個性という陰翳をつけていけばきっともっと冗漫な映画になっただけだったでしょう。
帆船、凧、船乗りの父が息子に教えるロープの結び目。結び方ひとつで366も違った結び目が出来上がるといいます。その結び目をほどく、結ぶという動作ひとつにしてもそこに込められた意味ははっきりとしたメッセージになって伝わってきます。語り手の少年に突きつけられる現実もやはり重いものでしたが、マゴニアと名づけられた帆船のかたちをした凧を空にときはなつラストシーンにふっと心の中の重荷を解き放たれたような思いも抱きながら映画館をあとにしました。
音楽もすごくよかったです。いや、そんなふうに断片化してこの映画を語ることはふさわしくないようにも思います。映画を観ることを習慣にしていると、比較して採点するという損な観方をするようになってしまう……。ふとそんなことを映画館をあとにした帰りの道すがら思っていました。そうではなく、ひとつひとつの映画、唯一無二の作品の前で茫然と佇むように映画を観ることを思い出させてくれる作品でした。あらをさがせばあらは出てくるものだと思います。この映画を、自分の人生とは無縁の、通り過ぎていく娯楽として吹き飛ばしてもいいのだけれど、そうではなく、どこか自分の人生と結びつけておきたい、そんなふうに思います。
でもメモがわりに、書いておきたい(笑)。きのう食べたイタリアンもおいしかったです。柑橘系のフレーバーのついたオリーブオイルでフォカッチャを食べたんですが、これが絶品(関係ないですね、笑)。
by brunodujapon
| 2005-06-04 20:51
| 映画