2005年 06月 02日
サクレ・クール Sacré-Coeur de Jésus |
つい先日、スキャナを新調しました。ザラついた画像にストレスを感じていたので、ちょっと手痛い出費でしたが、おかげさまでスッキリしました。いままでスキャンできずにお蔵入りになっていた古い写真など、コレでやっとブログにあげられそうです。
明日の金曜日は「イエスのみ心の祝日」と言われるカトリック固有の移動祝祭日です。フランス語でいうと la fête du Sacré-Coeur、パリ名所のひとつ、モンマルトルのサクレ・クール寺院の名ともなっている「イエスの聖なる心臓」を尊敬する日です。
こう書くと、なんとなくフェティッシュな感じがしますね。あからさまに語弊があるかも。(^^;たしかに日本人の感覚からいうとすこし違和感があるかもしれません。ヨーロッパに行くと歴代の王の心臓を保存しているチャペルがあったりするのですが、心臓というのはやはり深い思いの宿る部分、とヨーロッパ人は考えているのでしょう。とても親切な人だ、という意味で「金の心臓を持っている」という言い回しがあったり、これはとても好きな言い回しなのですが、「心の底から du fond du coeur」という言い方があります。以前日本にいらっしゃったフランス人修道女にフランスで会ったとき「私の心はみんな日本においてきました」といわれてジーンときたことがありましたが、これもlaisser son coeur という言い方があって、フランス人としては特別にオリジナリティのある表現でもないようです。ま、滅多やたらには使わないと思いますが。日本人が深い実感を、「五臓六腑に染みわたる~♪」とか「腹黒い」とか「肝」と表現するのに相当する感覚だと思います。
……と、前置きが長くなりましたが、つまり心臓を尊敬する、というよりも人間となった神(=イエス)の人間に対する傷つく愛の心を記念する日、です。と最初からこういえば良かったのですね(爆)。
そもそもの発端はブルゴーニュのパレ・ル・モニアルにある聖母訪問会(日本にはない観想修道会)の修道女だったマルグリット=マリー・アラコックにほかならぬイエスが出現したという出来事に発端があるようです。このときに毎月最初の金曜日の特別な祈りを広めるように、というお告げがあったことから、「聖心(みこころ)の信心」というのが始まったということです。写真はブルージュの聖母教会のイエスのみ心の像。聖マルグリット=マリーのもとに顕われたという姿をそのまま像として作ったものですが、カトリック教会なら見かける度合いの高いポピュラーな姿のイエス像です。こうしてあっという間にこの「み心の信心」が広まった背景には、フランス革命以後現代まで続くフランスにおける信仰の危機に対するカトリック再興(?)の旗印となったということがあるようです。一時期に比べればこの信心は現代ではかなり下火になっていると言わざるを得ませんが、もうひとつの画像はちょうどその聖心の信心の隆盛期にフランスで使われたと思われる、サクレ・クールのエンブレムです。これはバイユーという街のアンティークショップで買ってきたものですが、よくみると縫い目のあとが遺されており、きっと上着の内ポケットあたりに縫い付けられていたのだろうなあ、となんとはなしにしんみりと昔の人の思いが偲ばれるような気がします。上の字は「ストップ!イエスのみ心がそこにおられます」。下の字は、これは昔のフランス語の主の祈りで「御国が来ますように」と書かれています。あとはピオ9世による免償つきです、ということが書いてあります。
このハートに十字架、というのがサクレ・クールをシンボル化した絵なのですが、これは結構あちこちで目にするものです。刺青だと日本人なら龍とか弁天様ですが、なぜかあちらではタトゥのモチーフとしても好まれているようで、よく見かけます(映画とかで、ですが)。
明日の金曜日は「イエスのみ心の祝日」と言われるカトリック固有の移動祝祭日です。フランス語でいうと la fête du Sacré-Coeur、パリ名所のひとつ、モンマルトルのサクレ・クール寺院の名ともなっている「イエスの聖なる心臓」を尊敬する日です。
こう書くと、なんとなくフェティッシュな感じがしますね。あからさまに語弊があるかも。(^^;たしかに日本人の感覚からいうとすこし違和感があるかもしれません。ヨーロッパに行くと歴代の王の心臓を保存しているチャペルがあったりするのですが、心臓というのはやはり深い思いの宿る部分、とヨーロッパ人は考えているのでしょう。とても親切な人だ、という意味で「金の心臓を持っている」という言い回しがあったり、これはとても好きな言い回しなのですが、「心の底から du fond du coeur」という言い方があります。以前日本にいらっしゃったフランス人修道女にフランスで会ったとき「私の心はみんな日本においてきました」といわれてジーンときたことがありましたが、これもlaisser son coeur という言い方があって、フランス人としては特別にオリジナリティのある表現でもないようです。ま、滅多やたらには使わないと思いますが。日本人が深い実感を、「五臓六腑に染みわたる~♪」とか「腹黒い」とか「肝」と表現するのに相当する感覚だと思います。
……と、前置きが長くなりましたが、つまり心臓を尊敬する、というよりも人間となった神(=イエス)の人間に対する傷つく愛の心を記念する日、です。と最初からこういえば良かったのですね(爆)。
そもそもの発端はブルゴーニュのパレ・ル・モニアルにある聖母訪問会(日本にはない観想修道会)の修道女だったマルグリット=マリー・アラコックにほかならぬイエスが出現したという出来事に発端があるようです。このときに毎月最初の金曜日の特別な祈りを広めるように、というお告げがあったことから、「聖心(みこころ)の信心」というのが始まったということです。写真はブルージュの聖母教会のイエスのみ心の像。聖マルグリット=マリーのもとに顕われたという姿をそのまま像として作ったものですが、カトリック教会なら見かける度合いの高いポピュラーな姿のイエス像です。こうしてあっという間にこの「み心の信心」が広まった背景には、フランス革命以後現代まで続くフランスにおける信仰の危機に対するカトリック再興(?)の旗印となったということがあるようです。一時期に比べればこの信心は現代ではかなり下火になっていると言わざるを得ませんが、もうひとつの画像はちょうどその聖心の信心の隆盛期にフランスで使われたと思われる、サクレ・クールのエンブレムです。これはバイユーという街のアンティークショップで買ってきたものですが、よくみると縫い目のあとが遺されており、きっと上着の内ポケットあたりに縫い付けられていたのだろうなあ、となんとはなしにしんみりと昔の人の思いが偲ばれるような気がします。上の字は「ストップ!イエスのみ心がそこにおられます」。下の字は、これは昔のフランス語の主の祈りで「御国が来ますように」と書かれています。あとはピオ9世による免償つきです、ということが書いてあります。
by brunodujapon
| 2005-06-02 19:32
| 抹香歳時記